
大自然の中で生まれ育った一児の母の素顔
はじめまして、Chico.です♫
このブログの運営者【Chico.】とは一体どういった人物なのだろう…と気になる方も多いはず。
幼少期のころから共に人生を歩んできた2匹のくまさんを交えながら、私の経歴やどういったブログを書いていくのかなどをご紹介できればと思いますので、最後までお付き合いくださいね。

みなさま、はじめまして!
よろしくおねがいします!

自己紹介
- 名前:Chico.
- 性別:女性
- 年齢:30代前半
- 職業:現在は専業主婦
- 家族:旦那さんと3歳の息子くん
- 住んでいるところ:北海道札幌市
- 保有資格:調理師免許、乳幼児食指導士、食育アドバイザープライマリー

今は札幌市に住んでいるけれど、生まれは北海道の上の方だよ!
以前は調理師としてレストランなどで勤務していたね!

趣味、好きなもの
最近の趣味は、お料理です。
調理師学校に通っているときの専攻は洋食だったけれど、息子くんが生まれてからは和食を勉強しながら【まごわやさしいこ】を意識しつつ、栄養たっぷりなごはんを目指して日々励んでいます。
私の通っていた調理師学校は、洋食専門。
ですが、一応和食や中華、パン、スイーツ、カクテルの授業などがあります。
洋食の調理師を目指して入学したけれど、やっぱり和食に道に進みたい!という人もいました。
そんな私は、洋食や中華の実技テストの成績はまあまあ良かったのですが、和食だけは本当に苦手で…テストも再々テストまで受けてようやく合格するレベルでした。
オムレツは上手に作れても、だし巻き卵はうまく作れない。
千切りやみじん切りはできても、桂剥きがうまくできない。
調理師学校に通っているときは、和食が大嫌いでした(笑)
でも今は息子くんと健康のために和食をたまに手間ひまかけて作り、素朴ながらも深い味わいが出せるよう日々研究しています。
卵焼きは今でも作るのが苦手だった気がするなぁ…

毎朝ミルで豆を挽いてコーヒーを淹れて飲むのがChico.のルーティンだよ!

息子くんが生まれる前は、読書が大好きでした。
特に好きなのは【湊かなえさん】
読んでいる時に引き込まれる感じとあの世界観は本当に素晴らしいと思います。
あとはたまに撮り溜めているドラマや映画を観たり、好きな音楽をかけてのんびりすることもあります。
最近は、のんびりするよりも息子くんとお外に出かけて、公園で遊んだり、街の喧騒に耳を傾けたり、お買い物や行事に参加したりと忙しくしていることのほうが多いかもしれません。
今しか体験できないことをなるべく体験させてあげたいという母の思いです。

Chico.の生い立ちから現在まで
Chico.という名前は、過去に居酒屋で働いていたときに店長につけていただいたあだ名です。
本当の名前は【ちひろ】といいます。
ちひろという名は、私の母が好きないわさきちひろさんからいただいてつけたそうです。
いわさきちひろさんは、子どもの水彩画を描くことでとても有名ですね。
柔らかな雰囲気の中に子どもとお母さんが描かれていたり、ときには戦争中の子どもの繊細な心までをも表現する非常に素晴らしい画家さんです。
絵本も出版されていて、我が家にも絵画を置いているので、息子くんも私も毎日一度は必ずいわさきちひろさんの作品を目にしています。

実家にもいわさきちひろさんの絵画が置いてあったよね!
生まれて数時間後にはじめてもらった物はスヌーピーのぬいぐるみだったよね

毎年、冬には流氷がやってくるオホーツク海を自宅の窓から見ることができる小さな田舎町で高校卒業まで過ごしました。
保育園から高校卒業まで一緒だったクラスメイトもたくさんいます。
小学校では、じゃんけんで負けてしまい、運動会のラジオ体操で全校生徒の前に立って見本となり、中学校では吹奏楽部に入り、クラリネットを吹いていました。
本当に小さな田舎町だったにも関わらず、吹奏楽の地区大会を見事突破し、全道大会で金賞をもらうことができ、吹奏楽が強い高校へ行きたい!ずっとクラリネットを吹いて生涯過ごしたい!と思うように。
今思えば、人生そんなうまくいくことのほうが少なくて、夢は散ったわけですが(笑)
中学3年生のとき、野球部の応援で「勝ったらタッチの曲を吹く」といわれていたけれど負けてしまい、それがなぜかものすごく悔しくて、吹奏楽より野球に関わりたい!と思うように。
高校では入学早々に1人で野球部に見学に行き、その日にマネージャーとして入部届を出しました。
このとき、他にマネージャーがいなくて、相当しんどい思いをした記憶がありますが、このマネージャー生活がなければ今の私はいなかったかもしれません。

高校を卒業して、進んだ道は調理師の専門学校です。
できればずっと野球に関わっていたかったけれど、当時はどうすれば野球と関わっていけるのかわからず、教えてくれる人もいなかったのです。
調理師の専門学校に進学するにあたって、はじめて一人暮らしをすることに。
もう10年以上前になるんだね〜

高校生のときに遊びらしい遊びをしてこなかったので、人生で一番遊んでいたんじゃないかと思うくらい毎日遊んで、バイトをして、学校生活を送っていました。
2年間の学校生活を終えて、無事に調理師免許を取得。
その後、私の住んでいる地域では誰しもが知っているであろうホテルのフレンチレストランに勤務。
ですが、かなりの長時間労働がじわじわと積み重なり、体を壊してしまいました。
退職をしたあとは、病院の給食を作ったり、お肉の加工場を経営している社長さんからスカウトを受け入社し、工場長まで登り詰めたり、計画倒産を経験したりとかなり色々経験したほうではないかと自分では思っています。
飲食業界に嫌気が差して、児童のデイサービスや高齢者のリハビリ型デイサービスで勤務し、ここでもまた事業所が閉鎖することになったり、その後の会社で強烈なお局さんと出会い、泣きながら会社に行く毎日になったりと大変な思いをしました。
色々あったけれど、旦那さんと出会い結婚してかわいい息子くんが誕生し、現在に至るという感じです。
息子くんが6ヶ月のころ、乳幼児食指導士と食育アドバイザープライマリーの資格を取っていたよ!


Chico.の経歴
これまでの主な経歴は、調理師としてレストランや病院給食で働き、高齢者施設などでも勤務していました。
2018年には、クラウドワークスさんで契約させていただいたメディア様のところで、半年ほどWEBライターとして活躍しておりました。
そのときの最高月収は5万円ほどでした。
月収よりも自分が書いた文章が誰かの目にとまり、記事を読むことによって悩みや疑問がなくなり、役に立てていると実感する瞬間が私の一番の喜びでした。
実はWEBライターを始めたのは、会社で毎日モラハラを受け続け、とうとう私に限界がきてしまい、会社を辞めなければならなくなってしまったことがきっかけです。
一人暮らしをしていたので、なんとか生活費は稼がなければならない。
でも社会に出るのがこわい。
在宅で自分の好きなことでなんとかお金を稼ぐことはできないものか…と考えた結果、行き着いた先がWEBライターだったのです。
半年で辞めてしまった理由は、ライターと飲食店のアルバイトを掛け持ちして、飲食店の方が人手が足りず忙しくなってしまったのと、体が本調子ではなかったので両立させることがどうしてもできなかった。
WEBライター歴は半年ほどですが、妊娠中からブログを書いていたり、息子くんが生まれて育児に少し慣れてきた頃からブログを再開したりしています。

Chico.はどんなひと?
私は、小さいころから会話の中で自分の感情や思っていることを表現するのが苦手でした。
一人っ子で田舎育ちだったのもあるかもしれませんが、極度の人見知りでもありました。

くまくまとは、よくお話をしていたよね!
地元を離れて、一人暮らしを始めて、少しずつ社会に慣れるにつれて人見知りはしなくなっていきましたが、やっぱり自分の思っていることを話すのは得意ではなかったのです。
書くことで自分の中の考えがまとまり、相手に思いが伝わったり、自分の言葉で誰かを救えたり、共感を得られたりすることが多いことに気がついたのは社会人になってしばらく経ってからです。
読むことも大好きだけれど、書くこともものすごく好き。
息子くんが生まれるまでの私は、家が大好きなインドア派でした。
好きなテレビを見たり、本を読んだり、料理をしたり、ダラダラしたり…1日でも2日でも家の中で過ごすことがとっても心地よいと感じていました。
息子くんが生まれてからは1日1回は必ずお外に出るようになり、公園や動物園、ショッピングに行ったりと過去の自分がびっくりするほどアクティブになっています(笑)
下を向いていることのほうが多かった独身時代よりも、息子くんが生まれてから現在の方が確実に人生は充実しているといえます。
へえちゃんも息子くんとたくさん遊んでいるよ!

さいごに
これからこのブログでどんなことを書いていけばいいのか、日々考えています。
など、さまざまなジャンルになると思います。
見ていただけるみなさまと、素敵なブログにしていけたらなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします♫
Chico.